学術雑誌が投稿論文を「掲載不可」とする主な理由の1つに、「文章の分かりにくさ」があります。しかしながら、文法の誤りだけが文章を分かりにくくしているわけではありません。文の構成や論理的な流れが悪いことも、懸念すべき重要なポイントです。文法を誤ることによって、著者の意図することが明確に伝わらなくなり、ひいては、論文内容に対する読者の信頼を妨げることにつながります。文の構成や論理的な流れが悪いと、重要な結果が分かりにくくなり、研究結果の重要性が隠れてしまいす。このような欠点をもつ論文は、即座に「掲載不可」となることが多く、査読プロセスに進むこともまずありません。優れた文章であれば、雑誌の編集者が論文に「YES」のサインを出しやすくなるのです。
では、何をもって良い文章というのでしょうか。
個人的な意見ではありますが、良い文章を書くためのガイドラインやルールは数多くあっても、ゴールはただ1つです。学術的な文章はinvisibleでなければならない、つまり目立ってはならないのです。読者は、もつれた言葉と格闘してまで著者の意図を理解したいとは思わないでしょうし、装飾的な散文で注意をそがれたくはないのです。このことを、John Cageが音楽を媒介としたコミュニケーションについて語る中で、次のように見事にまとめています。
「私が書くものは、澄み切った水のようにクリアーなものにしたい。そうすれば、いかなるかたちをとろうとも、私という存在が邪魔をすることなく、私が経験したことを人に伝えられるから。」(John Cage: Composition in Retrospect, 1982より)
このような明瞭な文章は、どのように作り出せるのでしょうか?わたしがエディターとしてThinkSCIENCEで校正をするときに心がけていることがあります。それは、読み手を知ること、ストーリーを語ること、そして英語を簡潔にする、この3つです。これはお客様が論文を書くときも役立つポイントです。